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安芸区スタイルブログ 安芸区+海田町・坂町・熊野町
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2011年 04月 28日
熊野町才ノ神を歩く
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前記事でご紹介した、涙岩となみだ岩伝説。その涙岩のあるのが、熊野町才ノ神地区。二河川と、県道174号線が南北に平行して走る、谷あいの地区。写真は、呉市と熊野町の境界線
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呉市営バス「才ノ神バス停」付近には、才ノ神墓苑があるのみ。
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呉市営バスが、呉市苗代方面へ走っていく。
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左へ入ると、呉地ダムへ。右が県道174号線、呉方面。才ノ神バス停はその先。

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呉地ダムへ向かう道から。二河川を挟んで、才ノ神地区。山の頂上付近に、涙岩。
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トモワのお弁当販売店の小さな建物が残されていた。昔は街道沿いの、こうした小さい建物がよくありましたよね

by cobalt_01 | 2011-04-28 03:34 | 街歩き
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2011年 04月 28日
涙岩と、なみだ岩の悲しい伝説
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熊野町の才ノ神地区。県道174号線を南下して、呉地ダム入り口から、呉市との境界線に近い場所の山を見ると・・・

文政8年(1825)浅野藩の編成した「芸藩通史」の中に、涙岩のことが書かれている。
「熊野村山中にあり、その質、黒色、白文六行ありて、涙痕のごとし」とある。この岩、昔から悲しい伝説が残っている。

戦いに破れた武士たちは土地をすてて、この山中へ住むようになった。
この落ち武者の子孫たちは、ふもとの川から、苦労して水をくみ上げなくてはならない

権次は、体が弱く、その仕事は無理だった

しかし、無理やり働かされて、岩の上で涙を出していた。

いつの間にか、権次の姿は消えて、岩の隙間から水が流れ出したのです。

それからというものの、この岩の隙間の水は絶え間なく流れ出すようになった。

「あれは権次の涙じゃ」

といって、その岩を「なみだ岩」と名づけたといわれている



古文書によれば、1371年に、逃げ延びてきた武士の一団が、この山中に立てこもったとの話もある。

また、1554年(天文23年)嵩山城の戦いで、菅田豊後守が滅亡したとも書かれている。

1527年(大永7年)熊野要害切り落としの激しい戦いもある。

このような戦いで、多くの人が討ち死に。

涙岩は、その歴史を刻んでいる岩。

by cobalt_01 | 2011-04-28 02:18 | 歴史・寺院
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2011年 04月 27日
矢野越峠 その2 安芸区矢野東側
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矢野東4丁目。モンテカルロ前から、矢野通りを横切り、山へ進んでいく
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住宅地を抜けると段々畑になり、山に。写真右端の白い道が、矢野越峠
しかし・・・

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道には、とたんで門が作られていて、前には進むことは出来なかった(おそらく、いのししなどを除ける意味がるのかもしれない)

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進めないこともないのでしょうが・・・

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振り返るとこのような光景。おそらく、熊野から矢野越峠を抜けたら、こうした矢野の街並みが見えるわけです


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by cobalt_01 | 2011-04-27 01:19 | 街歩き
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2011年 04月 27日
矢野越峠 海田町三迫側
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前記事・海田町三迫3丁目の白鳥神社から、左に進むと、古道である「矢野越峠」がはじまる
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チョークのようなもので書きなぐった矢印。「こっちです」の文字。それにしたがって進む
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竹林を抜けると、砂防ダムが現れ、その砂防ダムの長い階段を駆け上ると・・・

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東海田霊園の駐車場に出る。その先には、串掛林道。いまも、霊園への近道として、使われているようだ

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東海田霊園前の串掛林道から、先ほどまで進んできた白鳥神社・竹林方面を望む

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地図では、霊園の駐車場に出る道ではなく、こちらの道が、本当の矢野越峠のようだ。
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ただ、砂防ダムを上ったところから、こちらへは雑草によって、進むことはできない。
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また、進んだとしても、串掛林道へは上がれないようだ


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串掛林道を交差する形で、本来の矢野越峠の入り口に

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矢野越峠(古道)。中世から、主要道路だった。現在歩く人も少ないのか、荒れ気味ではある

次号は、この矢野越峠の矢野側へ

by cobalt_01 | 2011-04-27 00:59 | 街歩き
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2011年 04月 27日
海田・白鳥神社
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海田町三迫3丁目の白鳥神社。祭神は日本武命・保食命。鎌倉時代前期の元久4年(1207)勧請
ここを起点とする峠「矢野越峠」の、矢野側にも、同じく「白鳥神社」がある。昔から、両神社とも、峠の守護神であった
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境内から、三迫川の城井手を望む

次記事は、この白鳥神社から、始まる古道・矢野越道をご紹介します。海田町側と、安芸区矢野側を考察します。

by cobalt_01 | 2011-04-27 00:50 | 歴史・寺院
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2011年 04月 27日
出水(でみ) 農業の昔の生活の知恵
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出水(でみ)
町道から、赤穂峠入り口へ向かう地点にて。
棚田に野面石で作られた井戸
農業を営む人々の生活の知恵からうまれたもの。稲作時は、棚田に水をためて、秋以降は、ここの井戸で水を抜き、畑作に利用した。西谷や東谷で、現在も数箇所確認できる

by cobalt_01 | 2011-04-27 00:34 | 歴史・寺院
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2011年 04月 26日
赤穂峠 その2 海田町側 赤穂道標と貝塚
赤穂峠 その2 海田町側 赤穂道標と貝塚_b0095061_955630.jpg
海田町三迫3丁目。畑の谷橋から、赤穂峠へ向かうには2つのルートがある。
左のルートを進むと、歩いて2分で

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写真の地点に。小さな橋を渡らず、左を進むと、以前ご紹介した、畑谷大歳神社と畑谷地蔵堂に。右に進むと、民家のわき道を進んで1分で
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アスファルトの道から、こうした古道に。
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これも湧き水だろうか。

ここを進むと、赤穂峠の入り口に合流する

一方、右のルートを進むと、これも以前ご紹介した城井手を通って、白鳥神社前を通過し、西谷の棚田へ
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町道から、赤穂峠入り口に通じる道。表示板が設置され、比較的整備されている

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棚田と、山の間の細い里道を歩くこと1分

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赤穂峠入り口に到着

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左・くまの、くろせ道。右やま道
側面には、寛文年間の年号が刻まれている。赤穂峠の山頂付近には、中世に山城が築かれていて、古くから、昭和初期まで、熊野・安芸津・阿賀方面への主要道として使われた

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赤穂峠 その2 海田町側 赤穂道標と貝塚_b0095061_10211552.jpg
赤穂峠 その2 海田町側 赤穂道標と貝塚_b0095061_10215377.jpg
赤穂峠は続いていく。約1時間くらい歩くと、前記事の熊野町側に出られるはずです
赤穂峠 その2 海田町側 赤穂道標と貝塚_b0095061_1023239.jpg
赤穂峠 その2 海田町側 赤穂道標と貝塚_b0095061_10265064.jpg
赤穂峠入り口から、西谷地区を望む

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赤穂峠の入り口からすこし進むと、貝殻をたくさん見つけた。貝塚は、このあたり(三迫・東)を中心に十数か所存在していた。弥生式土器も出土した。現在は開発が進み、現存する貝塚は少なくなってきている。縄文時代ごろ、このあたりに人々の生活拠点があった証拠です


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赤穂峠入り口を望む。

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by cobalt_01 | 2011-04-26 23:36 | 街歩き
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2011年 04月 25日
赤穂峠 その1 熊野町側
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海田町と熊野町を繋いだ峠をご紹介するシリーズ。その1回目は、赤穂峠です。市販の道路地図や、国土地理院の地図にも、記載されている峠。かつて、熊野村から海田市へ向かう、「熊野道」という主要な道でした。のちにご紹介する新峠ができるまで、この峠を越えて、熊野町の人は、海田市駅まで歩いていた。
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では、この赤穂峠、熊野町側から、向かってみましょう。

写真は、おなじみ「ゆるぎ観音」入り口。まずは、この筆の里工房の前を通る、広い町道からゆるぎ観音へ向かってゆきましょう

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この山が赤穂峠。この尾根を越える道。越えると海田町三迫になるのです

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最初の写真の地点から、車で2分程度で、田畑が広がるこの場所で、赤穂峠とゆるぎ観音とで、分かれ道となる。左が赤穂峠、右がゆるぎ観音。そして、この分岐点に、道標が残っている


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赤穂峠の熊野側の道標。左が赤穂峠、右がゆるぎ観音

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道標地点を熊野町方面へ振り返る

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先に進み、作業場の前を道は左に曲がる

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進んでいくと

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熊野町も一望できるようになる。下の池が坂面大池(筆の里工房) 出来庭方面を望む

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この写真の先、右側に、赤穂峠へ入っていける。

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赤穂峠入口。この峠道の左側には小さな水の流れも

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赤穂峠は、写真のように続いていく。

次記事は、赤穂峠の海田町側をご紹介します。こちらも、道標など、峠の当時の面影を残すものがいくつも見つけることが出来ます。


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なお、赤穂峠、古峠、新峠という、3つの海田・熊野を繋いだ峠と、矢野東と海田町三迫を繋いだ峠をご紹介しますが、その詳しい地図は、今後UPしていきます。

by cobalt_01 | 2011-04-25 03:59 | 街歩き
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2011年 04月 25日
念仏の森公園
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戸坂峠(県道335号線)を、安芸区から東広島市に越えて、1分程度車で走ると、左に「念仏の森」入り口の看板が見えてくる
入ると、やがて、大きな湖のある、公園が広がる。それが念仏の森。東広島市八本松町吉川。阿戸小学校の児童などは、ここは遠足やキャンプでおなじみの場所。

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豊穣池。整備されて、美しくなっている。
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槌山と槌山城跡へ向かう登山道。
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中世の山城だった。南北朝時代のもので、明神山城と呼ばれていた
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毛利氏の反映や、槌山城の歴史を解説する表示板が設置されている

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この槌山を越えると、以前ご紹介した、「笹ヶ峠」になります。

by cobalt_01 | 2011-04-25 02:43 | 街歩き
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2011年 04月 25日
戸坂峠
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安芸区阿戸と東広島市八本松を結ぶ、県道335号線は、広島と東広島を結ぶ主要道である。その県道の難所といえば、安芸区と東広島市との境界線の峠である、戸坂峠(とさかとうげ)戸坂川沿いを一気に上っていく。
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NTT熊野戸坂基地局。戸坂峠のもっとも高い地点付近にあり、阿戸の街から、この白い巨大な塔を見ることができる。
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戸坂峠の境界線付近。安芸区側から
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東広島市側から

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阿戸方面へ向かって降りていくと、棚田が見えてきた
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里山あーと村入り口付近。阿戸の街に入っていく

by cobalt_01 | 2011-04-25 01:14 | 街歩き
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