矢野城跡。県の史跡に指定されている。南北朝の争乱の時期、熊谷連覚が、安芸の守護・武田信武の東上を阻止して拠城した。戦国時代、尾張国野間荘から野間氏が城に入る。野間重能が、1445年に矢野に入って以来、5代110年の間、矢野郷の本拠地でした。
4代野間興勝が最盛期で、政治・経済・軍事・そして文化・宗教の中心地として、矢野の城下町が整ってくる。矢野城は、山陽道が眼下に見え、広島藩への出入りを見張ることが出来る陸海交通の要衝でもあった。野間氏は、1555年、毛利元就に滅ぼされてしまう。現在の矢野城跡では、尾根を分断した堀切等で区分された、3つの郭群が確認されている。中央の郭群の先端のすそには土居屋敷、武士の屋敷であった地名ものこっている。武士団の拠点であった名残です
山の頂ではあるが、木々に囲まれ、矢野の街を眺めることができない。
五重塔。
ここから、さらに険しい山道を登っていく。約25分かけると、野間神社にたどり着く。野間氏をまつたた神社。なお、この写真右側には、もう一つの山道がある。これを下ると、安芸矢野ニュータウンの登山口へ。この矢野城跡へは、安芸矢野ニュータウンからのコースもある。
野間神社から、さらに40分登りきると、絵下山山頂へ。