3月20日、海田公民館で行われた、知ろう・貝田 考えよう・海田 創ろう・KAITA ミニコンサート・講演会に参加させていただきました。講演会では、瀬野川に架かる九十九橋の歴史について。終戦の日の前日(1945年8月14日)、山口県光市の光海軍工廠は米軍機による空襲を受けて、動員学徒を含む、738名の方たちがなくなった。昭和25年、この光海軍工廠の建物の鉄骨などが、広島に運ばれ、中区の本川橋と九十九橋の架橋に使われた。いまも、九十九橋の鉄骨には、当時の被弾の跡などが残っている。講演された友清坦さんは、当時光海軍工廠で勤務されていらっしゃった。
現在の九十九橋。近いうち、きちんとご紹介したいと思います