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安芸区スタイルブログ 安芸区+海田町・坂町・熊野町
カテゴリ:歴史・寺院( 248 )

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2016年 03月 17日
軍用地引き込み線路の名残だった橋が撤去される
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尾崎川に斜めに架かる橋。この何の変哲もない橋ではあるが、昔の遺構でした。
かつて、昭和25年ころ、国鉄海田市駅から、寿町の自衛隊(当時の軍用地)まで、引込み線が走っていた。現在の海田市駅南口から、ひまわり大橋を渡り、小さな路地を進み、堀川町の国道2号線を交差して、この尾崎川をかかる橋を渡って。写真は、橋から海田市駅方面。海田町南つくも町。

その尾崎川にかけられた、線路の架橋が、引き込み線の名残。昭和11年に明神新開を陸軍が軍用地として買収され軍の施設が次々建設されました。その陸軍の基地までの物資等を運ぶ軍事線路=引込み線として建設されました。大戦後、陸軍の敷地は半分以上が民間に払い下げられ、広島ガスをはじめとする工場や県営住宅、海田高校などに変わっていきました。線路も取り除かれ、道路へと転用されました。ひまわり大橋が出来る前の歩道橋(第一中央歩道橋)は当時の鉄道橋をそのまま使用していましたし、ひまわり大橋から線路の位置に忠実に道路が通っているので、未だ名残となっているのです。

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しかし、最近、この橋が老朽化のため撤去されました。

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この写真の位置から、ひまわりプラザに向け、線路が延びていた。
写真でもわかるように、かつての鉄道橋の部分であったろう跡が、橋脚部分に残っている。

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かつての旧鉄道橋と、撤去後の比較

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新たに橋がかかることもない。橋脚ともいえる、土台だけが残る。

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この橋の場所のすぐそばで長年営業されていた「ごはんやげんき丸」だった建物は取り壊されている。
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海田町つくも町。法務局海田出張所があった建物は、海田町が引き取り、海田町シルバーセンターになっている。
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尾崎川沿いを進むと、海田高校の敷地。この季節、桜並木が名物でしたが、武道館の撤去・建て替え工事にともない、桜並木は撤去されて、新たな桜が植えられている。
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武道館と食堂が取り壊され、新たな建物が建設された。新学期から使われるようです。
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by cobalt_01 | 2016-03-17 06:27 | 歴史・寺院 | Comments(2)
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2016年 03月 09日
広島藩油御用所跡 
何度かこのブログで取り上げてきた、安芸区上瀬野の広島藩油御用所跡。
昨年、新たに案内板が設置されました。改めて、今回取り上げてみます。

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国道2号線の一貫田交差点を、阿戸方面(熊野跡路)へ曲がりすぐ左。広島藩油御用所跡への道が見える。

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水路沿いを歩く

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新たに設置された、広島藩油御用所跡の案内板。地図とともに、詳しく紹介されている

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農水道沿い。右側手前から奥に向けて、、木小屋、油濾小屋、職人小屋、土蔵が並んで建っていた。

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農水道と熊野川

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水車小屋と水車用水路
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水車用水路の石積みが残る。手前が水車があった場所


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写真中央から右側の民家のある場所が、母家などが建っていた場所。水車用水路は中央の民家の手前で途絶えている。

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農水道が熊野川から分岐して勢いよく流れる
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瀬野学区集会所前。写真右側が、油土蔵のあった場所
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油土蔵の場所にある岩本衣料品店
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一貫田バス停。御用所門があった場所にあたる
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by cobalt_01 | 2016-03-09 04:06 | 歴史・寺院 | Comments(0)
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2015年 03月 30日
大山峠・代官おろし場「瀬野馬子発祥地看板」が新しくなる
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大山峠の安芸区上瀬野川入口にあたる、代官おろし場。このブログでは、4年ぶりに訪れました。
写真のとおり、「瀬野馬子」の発祥地案内板が新しくなりました。


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代官おろし場。清らかな清流が流れる。4年前は、東広島市八本松側から、全区間あるいてみましたよね。
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by cobalt_01 | 2015-03-30 23:12 | 歴史・寺院 | Comments(0)
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2014年 09月 04日
線路下の煉瓦のトンネル
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安芸区船越5丁目、JR山陽線沿いに、いまものこる遺構。煉瓦造りの線路下トンネル
線路が複々線化されるまでは、線路部分の幅も狭かったので、鴻地新開(現在の船越南2.3丁目)で収穫した作物を大八車に乗せ通行していました。また、瀬野川から鴻地新開への灌漑用水も通っていてとても重要なトンネルであった。
現在は役目としては雨水を通すのみ。線路に並行する市道の整備も数年前に行われたため、トンネルの半分以上は道路で隠れてしまっている。
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線路挟んで向かい側。やはりその煉瓦トンネルの出口らしきものは見当たらない(ちょうど海田シティホテル前)道路の下につながっているのだろう。
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by cobalt_01 | 2014-09-04 04:16 | 歴史・寺院 | Comments(2)
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2014年 09月 02日
海田市駅の水源地跡と梅田酒造所
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安芸区船越5丁目5-23。梅田酒造所の敷地の川向うの駐車場。
ここは昔、上下水道が発達するまで、海田市駅の水源地が設置されており、ここから500メートル南の国鉄海田市駅まで水道管が設置されていました。
当時は、この花都川では夏にホタルが飛び交っていて、住民が橋の上で夕涼みしていたそうです。

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この水源地跡を結ぶ橋の下には、階段で降りることができる。花都川へ降りてみました。市道の拡幅で、半分近く暗渠になっていますが、綺麗な水の流れが見て取れます

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水源地跡から、花都川を挟んで反対側にあるのが、梅田酒造所。清酒本州一で有名ですね。
創業は大正5年。90年以上の歴史があります。
裏手にある岩滝山からから流れる伏流水を地下60メートルの深さから汲み上げ仕込み水に、米は主に広島県産の酒造好適米を使い杜氏が腕を振るって造り上げた酒。
かつて、船越地区には5軒の造り酒屋さんが、岩滝山の伏流水を使って酒造りをされていましたが、いまでは、この梅田酒造所のみになっています。安芸区・安芸郡地区でも、この梅田酒造所と、熊野町の馬上酒造場(清酒・ 大号令)の2か所のみになっています。
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by cobalt_01 | 2014-09-02 07:58 | 歴史・寺院 | Comments(0)
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2014年 09月 02日
船越の休み石
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船越6丁目。花都川を上流にのぼり、梅田酒造所をさらに北へ進む路地の一角
ここから、竹浦の奥地への急な上り坂が始まる
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昔から、人々は、この石に腰かけて一休みして、坂道を登っていく
もともと、この石は、花都川の治水工事が完了する前は、石橋として使われていたものだそうです。いまもひっそり路地の片隅に佇んでいる
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花都川。船越6丁目付近。船越中学校方面にむけて、道路とともに北上。
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by cobalt_01 | 2014-09-02 06:43 | 歴史・寺院 | Comments(0)
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2014年 08月 31日
元・陸軍輸送潜水艇のための潜水艦ドック
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船越南4丁目、瀬野川沿いを進むと、河口に到着。
戦時中、日本製鋼所広島製作所が作った陸軍の輸送潜水艇が、進水するための潜水艦ドックへ。


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現在もそのままの形が残っている。この凸の字のうに、真四角に入り組んだドック、その四角の周りに、ぴったり道路も作られていて、このドックには、たくさんのボートが係留


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瀬野川河口。海田湾が一望できる。このドッグから、カキいかだや、牡蠣舟が係留されています。前方には、海田大橋。船越の最南端です。

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このドッグと、日本製鋼所・広島市東部市場との間に船溜まりが残っている。一部は埋め立てられて、広島クレーン学校になっていたりしますが。
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by cobalt_01 | 2014-08-31 05:07 | 歴史・寺院 | Comments(2)
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2014年 08月 16日
安芸区中野「出迎えの松」の1本が折れる
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安芸区中野の、出迎えの松(広島市の史跡)
6本のうちの1本が、2014年7月31日午後8時ころ、高さ3メートルのところから折れて瀬野川河川敷に落下しました。けが人はなかったのですが、やはり出迎えの松が弱っていることが改めて思い知らされました。
写真のように、市によって翌日には伐採されています。
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by cobalt_01 | 2014-08-16 08:51 | 歴史・寺院 | Comments(4)
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2013年 10月 16日
旧千葉家住宅一般公開 その4
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by cobalt_01 | 2013-10-16 06:10 | 歴史・寺院 | Comments(0)
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2013年 10月 09日
旧千葉家住宅一般公開 その3
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千葉家には、屋敷略図が残っていて、主屋と角屋は主に日常の生活空間として、座敷棟は接客用の空間として使い分けられていました。文化財にしていされている、この座敷棟は江戸時代中期の安永三年(1774)の建築です。玄関の間、次座敷、本座敷の他、渡り廊下で浴室、厠といった付属施設とつながっています。
本座敷は、床の間が設けられており、面皮柱を用い、床脇に付書院を組み合わせるなど、全体として数寄屋風の趣向でまとめられています。
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by cobalt_01 | 2013-10-09 05:15 | 歴史・寺院 | Comments(0)
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