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安芸区スタイルブログ 安芸区+海田町・坂町・熊野町
2008年 03月 13日
海田町つくも町の現状散歩①かつての国鉄バス海田新開線のいま
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芸陽バス広島ガス前バス停。時刻表がない。そう、広島方面への路線はいまはない(反対方向は、かろうじて残っている)
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つくも町、明神町のランドマーク。丸い形の河内外科。手前のベンチのそばには、15年くらい前には「青盛商店」があった。国鉄バスの切符売り場兼、売店。お菓子やパンなども売っていた。当時、国鉄バス海田新開線は、たくさんの便数を誇っていたのだが。
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海田警察署前バス停。その奥の国家公務員住宅は解体され更地に。まもなく新しい国家公務員住宅が建設される
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海田警察署前バス停(瀬野川側)にある、牡蛎の荷揚げ場。ここで収穫した牡蛎を上げる。
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by cobalt_01 | 2008-03-13 07:51 | 街歩き | Comments(6)
Commented by ゆう at 2008-03-14 02:03 x
以前もコメントさせていただきました。
そうですか、ついに全て取り壊されてしまったのですね。
寂しいです。
私は、瀬野川側道路側に住んでいました。鳥取や福山から引っ越してきて、冬の朝早くから目の前で牡蠣ガラを洗う音で目を覚まし、最初は何をしているのか不思議に思っていました。当時は、牡蠣や瀬野川のにおいや公園側の牡蠣ガラを野積みにしている工場の粉塵などが非常に苦痛で、中には子どもの健康のため、他の宿舎に引っ越して行かれる方もおられました。
今となっては、思い出の一つです。
また、河内外科にもお世話になりました。丸い外観も驚きでしたが、中はちょっと薄暗く、子供はちょっと怖かったと話していました。
法務局の側には、つくも保育所があり、酒屋や喫茶店「サタン」?があり、町内運動会等でお世話になったおじさんがおられたように思います。
デオデオもまだ無く、工場地帯に隣接した場所で、「新開」と言う言葉も意味不明でした。
友人が住んでいた楽々園や市内の宿舎から遊んで帰ると、ちょっと薄暗いイメージの町だったように覚えています。今後も移り変わりのレポートを楽しみにしております。
Commented by 熊野胡自動車 at 2008-03-15 17:05 x
旧国鉄バス海田新開線
広島~呉間を結んでいた国鉄バス安芸線の枝線として存在していたバス路線ですね。
国鉄からJRに変わってから、急激にバスの本数が減った印象を受けます。今は芸陽バスが引き継いでいますが、片道1本のみの運行になり、かなり寂しくなりました。
あと、全般的に安芸郡・安芸区内のバス路線は、縮小傾向ですね。JRバスは5年前に地区内から全面撤退しましたし、広電バス熊野線も向洋・海田経由は、かなり便数が減りましたし・・・・・。
(ここ最近では、広電バス熊野線の皇帝ハイツ線が近日中に廃止される予定です)

ちなみに、海田新開にはかつては広電バスも運行していたんですよ(海田新開線という名称で)。
広島バスセンターから海田新開の工業地帯を経由して、矢野橋まで運行されていました。
Commented by cobalt_01 at 2008-03-16 10:17
ゆうさん>
ゆうさんのコメント、懐かしく読ませてもらいました。当時、私の友人が、同じく、瀬野川沿いの方の官舎に住んでいて、窓からあの牡蛎の様子が見えたの覚えています。
河内外科にも、幾度となくお世話になりました。当時、かなりお年を召された先生に見ていただいてた。修学旅行直前に風邪をひき、ここで大きな注射打たれて・・・不思議と当日は元気になって。
当時は、サタン、尾花酒店、新開薬局、岡本商店、魚のたわら、トーショク、海田町商工会(そろばん教室がありましたよね)そして、さなだ文具店。あの道路には、ちょっとした商店街のような活気がありましたよね。とはいえ、他の町から比べると、なんども無機質で、さみしい、そして空気のよくない街ではありましたが。
逆に、私のように、子供のころ転勤ばかりしていたから、西海田小学校のように、転勤族ばかりの生徒の学校は、逆に居心地がよかった気がします。
つくも町での思い出は、語りつくせません!
ところで、いまは、小学校で区ごとのスポーツクラブってあるのかな?いや、もうないでしょうね。私は、3区のチームでした(笑)
Commented by cobalt_01 at 2008-03-16 10:28
熊野胡自動車さん>
皇帝ハイツ線廃止ですか!また一つ、昔から見慣れた行き先が、なくなるのですねぇ。皇帝ハイツとか、海田新開、海田車庫、鯛尾・・・そういう行き先表示がなつかしい。
海田新開線に、広電が走っていたのは初めて知りました。いつごろなのだろう??
ずっと、国鉄バスのイメージしかなかったので。
行政からの補助金がなくなって、赤字路線は生き残れなくなる。でも、公共交通機関なのですから、なんとかならないのかな?って想います。あと、このエリア、海田、坂は、町循環バスが走っているのも、なんらかの影響があるのかもしれません。連携して、循環バスから広島行きのバスへの接続がうまくいけば(料金的にも)いいのですが
Commented by 熊野胡自動車 at 2008-03-16 15:58 x
コバルトさん

>海田新開線に、広電が走っていたのは初めて知りました。いつごろなのだろう??

定かではないのですが、昭和30年代には運行されていたようです。いつ、運行を始めて、いつ廃止になったのかは、ちょっと分かりません。

>皇帝ハイツ線廃止ですか!また一つ、昔から見慣れた行き先が、なくなるのですねぇ。

皇帝ハイツ線は、かつては呉市北部の苗代・郷原まで足を伸ばしていた伝統ある路線だったのですが、間もなく幕を下ろそうとしています。利用者が少ないというのもありますが、熊野町内の道路が狭くて、大型バスでの運行が手間だったというのも、廃止される理由の1つかなと思います。

>海田新開、海田車庫、鯛尾・・・そういう行き先表示がなつかしい。

国鉄バス時代だと、かなりのバリエーションがありましたよね。
呉本通6丁目、広、乃美尾(黒瀬)といった行き先もよく見ていましたし。

>このエリア、海田、坂は、町循環バスが走っているのも、なんらかの影響があるのかもしれません。

このエリア、住民の大半がJR呉線・山陽本線などの鉄道へ利用が移行してしまって、路線バスは苦戦しているようですね。
Commented by cobalt_01 at 2008-03-20 12:34
熊野胡自動車さん>
なるほど。昭和30年代、バス全盛期のころだったのですね。そのころは、まだ、海田新開って、あまり開発されていなかったとは思うのですが、それでも、工場へ向う人の足として大切な路線だったのかもしれないですね

皇帝ハイツ線も、苗代・栃原まで延びていたんですね。ふーむ。

国鉄バス時代、いろんな行き先がありました。なつかしい・・・
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