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2007年 11月 23日
矢野町屋通り探訪⑥砂原通りと出合橋・保育橋
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砂原通り。矢野川の沿った道で、旧県道である。熊野へ向うバスもここを走った。矢野の漬物屋「佐々木商店」と、魚・仕出し・料亭の玉酔。
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出合橋。本町通りと砂原通りが交差する地点。写真に写っている和田酒店から、銘酒「出合橋」が発売されている。矢野のおみやげに
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保育橋。保育所へ向う橋。かわいらしい。ひよこがデザインされているので、「ピヨピヨ橋」と呼ぶ人も多い
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人一人とおる幅の小橋がたくさんかかっている。ごく身近な生活道としての橋。この矢野川がいかに、生活と密接に関わっているかがわかる
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by cobalt_01 | 2007-11-23 07:27 | 街歩き | Comments(7)
Commented by 熊野胡自動車 at 2007-11-23 23:56 x
>砂原通り。矢野川の沿った道で、旧県道である。熊野へ向うバスもここを走った。

この通りは、かつて広電バスが運行していました(前身の熊野胡自動車の時代から)。
今思えば、よくこんな狭い道路にバスが運行していたと感じます。(場所によっては、途中ハンドルを切替えさないとバスが曲がれない場所もあったようでした)
当時の話を聞いたことがありますが、道路が狭い上に当時も交通量が多く、また通学路でもあったため、小中学生が歩いていたこともあって、なかなか前に進むことも出来ず、かつよく家の屋根にバスをぶつけていたこともあって、本当に運転士泣かせの通りだったようです。
なお、この通りは確か昭和13年に、現在の国道31号線が開通するまでは、ここが呉に向かう国道だったようです。

なお、昭和44年でしたかね?現在の県道が開通すると、広電バスも現在の県道へ経路変更されましたが、その後ちょっとの間矢野旧道線という名称で旧道経由も残っていたようです。
なお、広電バス熊野線はかつて、熊野まで行かない便も存在していて、新県道が開通してからは、矢野稲荷町で方向転換していたようですが、それまでは矢野天神で方向転換していたそうです。
Commented by cobalt_01 at 2007-11-25 13:21
熊野胡自動車さん>
ふむふむ。民家の軒下に当たりはしないかと心配しちゃいますよね。バスがぎりぎりの道路を走るのは、のっているとなかなか迫力あったでしょうね。
この砂原通りが国道だったというのもびっくりですね
10年ちょっと前くらいまでは、まだ、「矢野稲荷町」行きの便がありましたよね。熊野線バスがたくさん走っていて、活気があった時代。(皇帝ハイツ行きとか、いまもあるのかな?)いまは、広島熊野道路経由が主流になって、県道もバス便少なくなって・・・なんだか寂しい気がします
Commented by りん at 2007-11-25 16:56 x
皇帝ハイツ便は海田市駅との往復になりましたが、
まだ残ってますよ♪
ただ1日4便ですけどね(苦笑)
Commented by 熊野胡自動車 at 2007-11-25 21:24 x
>コバルトさん りんさん

皇帝ハイツ便は、海田市駅方向3便、皇帝ハイツ方向1便(平日)で残っています。かつては、広島バスセンター~皇帝ハイツ間の運行で1日7往復程度ありましたが、どんどん減便されて今のような状況になってしまいました。
この皇帝ハイツ線ですが、かつては呉市北部の苗代および郷原まで足を伸ばしていました。昭和52年に熊野町呉地~苗代間の路線が休止されて、今の状況になりました。

>10年ちょっと前くらいまでは、まだ、「矢野稲荷町」行きの便がありましたよね。

矢野稲荷町行きは、平成4年の春のダイヤ改正まで存在していました。
その時に消えましたが、同時に寺屋敷・夢ヶ丘団地へ広電バスが乗り入れ開始しました。

そういえば、広電バス熊野線は東広島市黒瀬町の賀茂病院まで行く便もありましたね。これも5年くらい前に廃止されてしまいましたが。。。。
(熊野~黒瀬間の道路は、かつては非常に道が狭くて、バス運行は大変だったようです。この旧道は今でも残っています)

また、最近は阿戸線も廃止話が出るなど、どんどん路線がしぼんで行く一方ですね。
Commented by cobalt_01 at 2007-11-27 07:30
熊野胡自動車さん>
そういう歴史があったんですね。皇帝ハイツ行きは、その先があったとは。そのころは、まだ苗代も人が多かったってことでしょうね。

矢野でも、天神や祇園のような、JR駅から遠い人にとって、昨今のバスの減便+海田市駅止まりは、不便極まりないですよねぇ。

阿戸線も、なんとか瀬戸際で廃止は免れましたが、今後、まだ不安は残りますね
Commented by 熊野胡自動車 at 2007-11-27 22:44 x
コバルトさん>

>皇帝ハイツ行きは、その先があったとは。そのころは、まだ苗代も人が多かったってことでしょうね。

苗代は今も昔もあんまり人口は変わっていないような・・・(呉市の中の田舎という雰囲気ですね)
ここは、今でもですが熊野~苗代間に呉市営バスが運行しているので、広電バスが消えても問題なかったのかもしれません。
熊野~苗代間は、途中民家がほとんど無いところを運行しているので、いずれバス路線自体が消えてしまいそうな予感がします。

あと、これも過去の逸話ですが、昭和20年代に呉市営バスが熊野から矢野駅までのバス路線の新設を申請したこともあります。結局、広電バスとの競合ということで、呉市営バスの矢野駅乗り入れは実現しませんでした。(でも、呉から国道31号線経由で矢野への乗り入れは果たしましたけどね(路線自体は、呉から広島バスセンターまで行っていました))
Commented by cobalt_01 at 2007-11-28 07:25
熊野胡自動車さん>
苗代とかl、栃原って、呉でもほんと山の中の街という感覚ではありますが。呉市営バスのエリアとして、生活の足として利用されているのでしょうね。

そうそう、以前は国道31号線を、呉市営バスが走ってましたよね。覚えています。いまは、クレアラインを走る路線に変わってしまったのでしょうね。そう、快速がバンバン走っているJR呉線とのスピード対決の結果でしょうし

私は小学生のころ、国鉄バス海田新開線をよく利用していました。あのころは、便数もとても多くて非常に便利でしたが。いまは、そのルートって、1日2、3本くらいしか、走ってないんですよね。芸陽バスで。
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