矢野の住民からは「権現さん」と呼ばれ親しまれてきた「愛宕社(愛宕神社)」の記事の続編。
文明4年・1472年、矢野城主の野間氏の造営。矢野城の北東にあたり、鬼門除けの役目がある。室町時代の石積み形態を残す
この社殿、よーくみると、すべて鉄製なのです。昭和46年の山火事で、旧社殿が全焼。再建された際、火事にも強い鉄製にされる。
社殿の後ろ側に影向石(ようごういし)がある。巨大な神の石。
野間氏が没落した後のある夜、あやしい光を放ったとされる。神が現れたとされるゆえんです
社殿のそばには、こうしてテーブルがあった。参拝者が休憩するためのものだろう
社殿まで、急な階段を登ったのだが・・・木々が生い茂っているため、もっとも高い位置にも関わらず、眺望はよくない。矢野の街もまったく見えない。山火事が起こる前には、この階段の先に門客人(かどまろうど)があった。
社殿そばにあった、石灯篭
次回は、ここを降りて、愛宕社の歴史をさらに探ります。
また、串掛林道(矢野町域)も訪れます
その後、他の町の記事もUPしつつ、矢野城跡エリアを山登りして探険していきます