的場川西踏切を北に渡ってすぐ東側から、歩行者が通る路地がある。
線路からすぐ並行に伸びる。
木製の電柱と街路灯。昭和らしい風情です。
呉線の呉方面に向かう線路は高架となり、山陽線や貨物の線路と交差していく。
野菜などが作られていた
ちょうど中間点から、広島方面(西方面)望む。三角屋根のビックエムワンの位置から、高架道路が線路とこの路地を跨いで写真右側へ向かって作られる計画。
この路地に今も残る懐かしい看板。みどりスーパー裏手との表記。みどり船越店はいまのマルショク船越店が建設される前に建っていた、2階建ての中規模スーパー(1階は食品、2階は服・家電・雑貨とカレーのオアシス)。その後、ディスカウントスーパーのザ・ビック船越店に業態変換したのち、閉店し取り壊され、マルショクが作られた。ちなみに、みどりは、現在のマックスバリュ西日本。
広島鉄道保線区の平成5年の看板。もう横倒しで放置されている。おそらく、敷地内に入ったり、畑などつくらないようにとの警告だろう
約300メートル歩くと、この線路と平行である路地の終着点。ここでふつうの市道になる。
この路地の東端の市道挟んですぐ向かいに、L字の道路に沿って、5角形のドーナツ型に建てられた長屋アパートがある。この写真側の建物、1階はお好み焼き店など入っている。このアパート、つばめ荘といった。この名前を聴いてピンとくる人はいると思う
かつての国鉄つばめ荘である。
現在の安芸区民文化センターやコープ船越などがある敷地に、平成初頭まであった、国鉄自動車(のちの中国JRバス)海田車庫。昭和40年代から50年代は、その働いている方たちの社宅アパートであったのだろう。(もしかしたら、バスだけでなく、国鉄海田市保線区や海田市駅の駅員さんの方たちのアパートでもあったのかもしれない)