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安芸区スタイルブログ 安芸区+海田町・坂町・熊野町
2014年 03月 12日
昭和60年(1985)海田大正交差点付近の住宅地図と現在の様子・その1
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昭和60年の住宅地図で加筆した、海田大正交差点付近の地図。
いまとかなり様相が違いますよね。大きな商業施設が少ないのと、ガソリンスタンドが多いのが特徴

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イオン海田店前。昭和60年当時は、安芸ニチイ海田ショッピングセンター。写真左のバッケンモーツアルト海田店は、菊家海田店。同じ洋菓子店
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菊家は、現在も大分・福岡でチェーン展開している。広島県内にも、当時は多く出店していたが、その後、広島県内の店舗の事業は、バッケンモーツアルトに移譲された。
写真右の、郵便局のATMがある場所に、かつては矢野橋ペットショップがあり、店先に小鳥の籠などがたくさん出されていた。

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フタバ図書ソフトピア海田店。本・文具・DVD・ゲーム・CDの販売、DVD・CD・コミックのレンタルの大型店。GIGA店舗でないのが惜しい。昭和60年当時は、約半分の敷地は、松田商店の工場と営業所
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もう半分の敷地、現在のセガ海田店やマンションのあるあたりは、カヤマ海田工場でした。カヤマは、かつて海田町窪町に店を構えていた、家具店。家具をここで作っていたのでしょう。

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右手前のレンタルバイク広島の建物が、かつてのほてい寿司。細長ーい建物ですが、ここで、長年持ち帰り寿しをされていた
左奥の建物、現在のうどん讃岐屋の建物は金正堂。こちらも、長年工具や金物などのお店でした。
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海田大正町郵便局。昭和60年当時は、2階建ての建物でした。そして大きく違うのが、局名。当時は海田大正通郵便局。もともとは、イオン(当時のニチイ)の東側の入り口の向かい側にあった。そう、大正通り沿い。それが、県道沿いに移転。しかし局名はそのまま「大正通」だった。ビルに建て替えられたのを機に、海田大正町郵便局へと変更された
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小沢石油大正町給油所も、10年ちょっと前くらいまで存在した。共同石油→JOMOのガソリンスタンドだったが、JOMOがエネオスに合併して、エネオスに変わる前に閉店した。現在はオリックスレンタカー。
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大正交差点の一角に長年立っているビル。この1階は、当時はうどんの安芸路。地元の人ならだれでも知っている手打ちうどんの名店でした。こちらも数年前に店をたたんでしまって、現在はレプトンが移転している。
このビル、昭和60年当時は、屋上の巨大な「広島そごう」の赤いネオン看板が取り付けられていて、夜もそごうのマークがネオンで浮かび上がっていた。ここにそごうショップでもあるのかと勘違いしている人もいたでしょうね。また、平成に入ってからは、消費者金融がいくつか上層階に入っていたが、現在はすべて撤退している。結婚式場・玉姫殿の互助センターなんかも、昭和60年には入っていたんですね。
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大正町陸橋の階段とレプトン2階へ向かう階段が並行に。
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当時はクラウン産業が、もっと県道側にあった。いまはビルに建て替えられて、奥に移っている。
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by cobalt_01 | 2014-03-12 12:00 | 街歩き | Comments(7)
Commented by ゆう at 2014-03-12 13:43 x
こんにちは。サティといえば、矢野橋があった頃の事はわかりませんが、ニチイ時代は31号側入口左の、惣菜売り場の作業場あたりに喫茶店がありましたよね。小学生(1993年頃)の時に伯母達とお茶したことがあります。因みにニチイができる前は鉄鋼系の?工場だったそうですよ。図書館にあった航空写真の本とか見ても移り変わりが分かってなかなか面白いですよ!!
Commented by mk at 2014-03-15 04:56 x
こんにちは!
以前市内の古本屋に立ち寄った時、40年ほど前の海田町の統計書を発見しまして、そこに完成当初(?)の大正交差点の写真が載ってました。
「うどんの安芸路」は現在のビルが完成する以前から営業されていたようで、現在のビルの敷地内に、広い駐車場と平屋(だったかな?)の店舗。道路脇には最近までビルに掲げてあったような、大きな看板が存在していました。当時はドライブイン的な立ち位置でもあったのかな?

サティで思い出したんですが、上の階にあるマッサージ店のところも、たしか最近まで喫茶店でしたよね。イオンに衣替えしてから、全然行ってないや・・・;
Commented by cobalt_01 at 2014-03-18 08:09
ゆうさん>
そうですそうです。、いまはイオンの東側入口側にあるうどんがメインの店が、この31号線側入口の惣菜売り場の近くに当時あったと記憶しています。ニチイができる前は工場だったのですね・・・玄関入ると、すぐファミリーフォトがありました。(ファミリーフォトは先日閉店して、瀬戸内カラーに移転となりました)
Commented by cobalt_01 at 2014-03-18 08:13
mkさん>
そうなんですか!もともと平屋だったのですね。安芸路、歴史が長いってことなんですよね。もっと食べにいっておけばよかった。
マッサージ店の場所は、喫茶店でした。私もここでお茶したことなんどもあります。
Commented by しぐま at 2014-04-08 20:16 x
消費者金融会社の店舗が、大手から中小まで雑居ビルにあふれんばかりにひしめいていた風景は、ここ海田に限らず、
つい4~5年前まで、全国至るところにまで展開されていましたね。
消費者金融、いわゆるサラ金は、日本の金融システムのアキレスけんを背負い続け来たのではないでしょうか。
そういえば、広島県地方では、県内の民放テレビ全社が、
消費者金融会社のテレビCMを終日にわたり一切受け入れない姿勢を、
平成の初頭まで取っていました。
中四国の近隣各県の民放テレビ局の多くが、昭和50年代後半から、
終日か深夜帯限定で消費者金融会社のテレビCM受け入れ解禁に傾いていく状況でも、
広島県の民放テレビ各局では、
被爆地を抱えるエリアとして、「原爆」「平和」というキーワードが常に付いて回る広島のテレビ局に、
消費者金融会社のテレビCMは、ふさわしくないという意見が、
長らく支配していたのではないでしょうか。
Commented by cobalt_01 at 2014-04-09 08:51
しぐまさん>
たしかにたしかに。
海田でも、ちょっと前までは、消費者金融の店舗がたくさん、国道31号線沿いに並んでいましたが、ほとんど消えました。
CMもそうですね・・・

Commented by しぐま at 2016-03-10 07:47 x
2年前の記事への今さらのコメントになりますが、
広島県地方の民放テレビ局で、消費者金融会社のCMが流れ始めたのは、平成2年10月の事で、
中国放送テレビとホームテレビが、データイムや深夜のスポットCMで、大手や準大手の消費者金融CMの放送を解禁しました。
ある日の昼間に自宅のテレビをつけて、消費者金融会社のCMを初めて目にした広島市内の「サラ金被害者団体」の関係者はショックを受けたらしく、それで翌年、サラ金被害者団体は「サラ金CMの即時放送中止」を訴える手書きのビラを大量印刷して、それが広島市内の住宅やマンションの郵便受けに投函されたそうです。
それから、この時点で消費者金融CMを受け入れない姿勢を変えなかった広島テレビとテレビ新広島との間で、その後数年間、経営・営業・財務面でのガマン比べに突入していったのです。

今では広島市内でも、三洋信販、日立信販、しんわ、アイクなどといった中堅や準大手の消費者金融会社の店舗が無いに等しくなってしまっています。
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