寺屋敷橋から里道を進むこと1分。この先が寺屋敷跡。中心に通じる道(林道)は、うっそうとなっており、前に進むのは困難にちかい
寺屋敷跡
バス通り側から。写真中央の私道から右側が、寺屋敷跡
同じく、バス通り沿いから寺屋敷跡を望む
寺屋敷は、広聞山寿楽院といわれた
山岳仏教の大寺院があったのです。
平安時代、この地に、真言宗の大寺院があり、石垣や礎石、土壇などが発見されている。また、境内があった場所からは、平安初期の布目瓦も発見されている。
現在は、写真でもわかるように、松や雑木におおわれている。しかし、建造物の礎石と認められる石の配列や石垣の部分が残っていることが確認されている。
弘治元年(1555)、矢野の野間氏滅亡の際、この寺も戦火にかかり、すべて焼け落ち、わずかに残った本尊と聖徳太子の二像を、小宇を造立して安置した。慶長4年(1559)時真宗本願寺派に改宗して、長慶寺と改称、現在の安芸区矢野西に移った。広島仏護寺の末寺になる。
緑の線で囲んだ部分が、寺屋敷跡。前方が、バス通りと山水苑団地。パレットガーデンより望む
詳細地図
写真は、この里道の終点。呉市焼山泉ヶ丘の住宅地から、里道を望む。
では、引き返します。
寺屋敷跡の手前には、小さな川が流れている。この小川は、寺屋敷の敷地に流れ、この先に取水溝の石組みなどもある。
寺屋敷跡と、里道が交差する地点に、古井戸のようなものを見つけた
里道と交差する林道。昭和26年、開拓団によって、林道が建設された。