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2009年 10月 17日
広島藩一貫田油搾場跡を訪ねる
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江戸時代の燈油を製造していた油搾場の跡が、現在も残っている。一貫田油搾場の全景。広島藩内では、海田や瀬野川町で綿花と菜種がひろく栽培されていたので、原材料は豊富だった。江戸中期に、各藩の製油業が進むにつれ、西国各藩から、大阪へ集荷される菜種や絞り油が減少。そこで、幕府は、大阪から江戸への油の輸送を確保するため、西国に製油を統制するようになった。広島藩では、1798年、藩営の油御用所を設けて、製油業者の保護と自給を図った。上瀬野村一貫田の野村太郎右衛門の油搾場は、藩営の油搾場となった。
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写真の石垣の中央、くぼんでいる部分が、水路だった部分。ここに水が流れていた 水路の幅は59センチ、深さ40センチ。手前の田んぼに搾油場があった。写真左側に直径6.4メートルの水車が作られ、菜種や綿の実を砕く動力となった。水車場には、44の石臼が稼動。この石臼は、明治15年ころ、龍善寺本堂改築の際、礎石に転用された。
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水路跡の石組みは、高さ2.7メートル、長さ100メートル。
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搾油場から、水は、溝で台橋の下に廃水。
製油が行われなくなった後も、水車は精米用に使われた。明治の末に廃止。
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茶色のラインが水路跡。右が瀬野川。
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by cobalt_01 | 2009-10-17 10:36 | 歴史・寺院
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